エンデ・はじめに

今日からMichael Ende(ミヒャエル・エンデ)について幾つか書こうと思います。

それで、どう書こうかアレコレと考えた結果、クロニクル的というよりかは、キーワードを絞って、それについて関連するエンデの文章を載せていこうと思う。(でもこれもまだ予定)


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うちにある、『エンデ全集』全19巻(岩波書店)。

小さい時、エンデの児童文学作品を読んでいて面白かったので、図書館内の大人の本棚にあるこの全集を手に取って読んだ時、なんだかすごく難しいことが書いてあると感じた記憶がかすかに残っている(まあ、今読んでもけっこう難しい)。

エンデについては、知っている人は知っているのだろうけど、児童文学作家という肩書きだけでは収まり切らない人物である。

したがって、私のエンデ観も収まり切っていないので、まとまらない。

ただ、大人になって、前に住んでいたところの本屋で見つけて読んだ時(エンデの本が本屋で文庫化したりして普通に売られていることに少なからず驚いたものの)、書かれている文章にぐいっと引き込まれるものがあった。そしてそのような感覚は、小さい頃にエンデの作品を読んだのと似たような違う感覚のものだったと思う。


…それを私は「難破」と言いました。本当に敗れさったときです。実際に失敗したことがなければならない。そうでなければ、ものを書くのは休日のお遊びにすぎない。余暇の暇つぶしだけです。だけど、職業として行うとき、真剣なとき、わたしはいま芸術全般を言っているのですが、文章を書くのも、陶器を作るのも、茶道でも、みんな同じです。生死をかけた闘いに敗れてはじめて、これら(芸術)に道が通じる。それ(敗北)を味わったことがなければ・・・・・・、その感触を知らなければならない。(ミヒャエル・エンデ、田村都志夫[聞き手翻訳]『ものがたりの余白』岩波書店、2000年、30頁)  


こういうことをエンデが書いていることを思うとなぜか意外な気がするのは、私のなかで、長らくエンデに対して「ファンタジー作家」 というイメージを持っていたからかもしれない。 

実際、エンデの言うファンタジーの概念は安易に楽しめる、といった類のものではない。単なる空想世界を展開するのがファンタジーの意味ではないとどこかで書いていたと思う。(確か「モラーリッシュ・ファンタジー」と書いていたような)


まあ、全然まとまらない文章になってしまったが、個人的には、エンデの考えが直截的に書かれてあるインタビューの方に興味がある。でも折につけて、『はてしない物語』『モモ』『魔法のカクテル』にも触れていきたい。どれもこれも面白く、かつ深遠な作品群である。