陽だまりの彼女に就て

何ヶ月か前に金曜ロードショー陽だまりの彼女という映画を観た。それで数ヶ月経った昨日、ふとこの映画のことを思い出したのでいくらか書き留めておきたい。

前半は恋愛映画もののようだが、後半にかけて徐々に伏線を回収していくといった感じだった。何人かがネットで『人魚姫』を猫にして現代日本風にアレンジしたものと書いていたが、だいたいそういう話である。伏線を張っているのは、女の子の正体が猫だという秘密を最後に効果的に見せるためだろう。


個人的にはそこにはあまり驚かなかった(だいたい知っていたから)のだけど、この映画には夏木マリが魔女?役で出てくる。主人公の女の子を猫から人間にした人物とされている。

映画の中で主人公の女の子はこの魔女に何回かコミットしており、おうかがいをたてに来ている。典型的な呪術者ー被呪術者の関係が描写されているわけで、主人公の女の子だけが、この魔女と猫を人間にする呪術に関して会話が成立しているのだった。後半では秘密を知った恋人の男性もこの魔女と意思疎通することができるようになる。


夏木マリ演じる魔女は、いわゆる猫屋敷に住んでいる老婆で、見た目も「みすぼらしい」。対して主人公の女の子は、ふんわり系だが来ているものはパリッとしている。恋人役の男性も見なりはきちんとしており、どちらかと言えば2人の属する世界は中流かそれ以上な感じだ。

老婆の属する階層が2人のそれより下だと言いたいのではない。わかるのは属する世界の文化が両者では違っているということだ。老婆の文化は片田舎にある猫屋敷のソレで、主人公たちの属する文化世界はどちらかと言えば都会のキラキラしたソレなのだ。

一見すると、両者はほとんど接点のないことがわかるのだが、個人的に驚いたのは背景の違う老婆と女の子の会話がちゃんと成立しており、都会的な女の子が魔女の使うコードをすでに知っているということだった。

話の結果から言うと、その呪術のタイムリミットによって女の子は都会的文化世界からほとんど完全に抹殺される。映画ではみんな彼女が最初からいなかったということになっている。悪意もなく誰ソレ?という雰囲気。恋人役の男性もじきにあんたも彼女を忘れるよ、と老婆から言われるのだ。

この呪術の機能は残酷なものとして映るが、こういう存在の忘却は普通あり得ないものの、いなくてもokという対処の仕方は日常的によくあるのではないかと思うのだ。そもそも、呪術を用いて違う文化世界に移ってきたこと自体、どことなく不正な感じを主人公の女の子は持っているようにも見える。納得しているかどうかは別として。



結局、違う文化世界の存在同士は関係が成立しない、成立しない方がいいということなのか?と思うがどうなのだろうか。ただ何れにせよ、違う世界への憧れとそこに生じる関係成立のための試行錯誤そして消耗はこれからもきっと存在するのだということはわかる。


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魔法と聞くといろいろときめくものの、リスクもあるものかは。

あと、老婆の住んでいるのは江ノ島らしく、個人的には片田舎でなどなく首都圏イメージだが、東京ではそういう認識なのか。まあ、町外れ感があればよいのか。