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私には

此の冬枯の庭にある木のなかで、此の紅梅だけが明けて十一になつた末の娘のやうな氣がする。
……正月二日のはげしいから風で紅梅が大分吹き散らされた。さうして末の娘はその夕方から熱を出して寢てゐる、私は今朝も娘の寢臺の傍で人から來た賀状を讀みながら、猶をりをり窓越しに紅梅を眺めてゐる。

与謝野晶子「紅梅」『定本 與謝野晶子全集 第二十卷 評論感想集七』講談社、初出1929)

中間部分には病弱な娘さんの将来を不安に思う与謝野晶子氏の言葉が。でも文学がこの先の娘の慰めになるだろうとも。

まあそれよりも、与謝野晶子氏が娘を弱く脆い存在と紅梅を通して表現してる点が気になった。やっぱり今と感覚違うのかも。

確かに梅の花はほろほろと零れ落ちそうな感じがあるのかも。儚いとやらか。