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クレイマン・クレイマンについて

十年以上前、多分nonnoという若い女の子向けのファッション雑誌に、このクレイマン・クレイマンというpsのゲームが載っていた。


確か女の子も楽しめるプレイステーションのゲーム特集、ということで紹介されていたのだけど、パラッパラッパーとかウンジャマラミー、僕の夏休み、トロと一緒も載っていた様な気がする。


このクレイマン・クレイマンというゲームは恐らくあの映画『クレイマー・クレイマー』のタイトルとかけているのだと思うが、内容的には関係ない。

ゲームの映像がすべてクレイ(=粘土)でできているというのが売りらしく、当時の私は粘土アニメが好きだったので、このゲームに喰いついた。


中古ゲームショップで見つけたソレは、売り文句通り粘土で出来ていた。内容的にはダンジョンと幾つかのミニゲームから構成されており、世界観としては何となくかわいいのだけど哀愁があった。廃墟を眺めているようでもあり、メタな感じだった。メタな感じというのは、要は神目線というやつだ。全体的になんで粘土の世界ができたのかということがほのめかされたままダンジョンが進むので、謎めいている気持ちでプレイしていた。


ダンジョンを進めるにつれ、重大なあることに気づく。セーブが出来ないということに。いや、正確に言うと、一回でも粘土の世界でミスをすれば、最初からやり直しというルールだったのだ。ちょっと穴に落ちるとか、本筋とは関係なさそうな簡単な選択でミスしたりしただけで、主人公は突然呆気なく死んでしまい、ゲームはそこで終了となる。個人的にはそこに一番驚いたのだった。あれあれ。

誤った謎解きは、そこでは、重大な諸価値が危険にさらされるので、死と破壊に通ずるであろう。若い人々と若い文化は、ただそれらの欠陥の滑稽な面と結果を見るだけではない。解答を逸することの危険は、民間伝承においてしばしば死刑と結びついてきた。オイディプスとスフィンクスの物語は、謎解きの不十分さが恐ろしいということを示す数多くの伝説の一つにすぎない。(M・フォス『シンボルとメタファー』p.84)

ここを読んで久しぶりにクレイマン・クレイマンを思い出したのだった。

まあ、人によってはこの単純なゲームのルールに怒る人もいるかなとは思う。でも粘土の世界は鮮やかできれいだった。


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近所のうどん屋さんにて。姉と。