もし神が道徳的な羅針盤なら、

その針先は、いかなる方向であれ、信じる者がすでに向いている方向を指すようだ。そういう意味では、神はまったく神秘的な存在ではなく、たんに、いかようにも解釈できる存在なのである。

政治家が、合衆国憲法の解釈をめぐって建国の父の意図を持ち出すときも、「国民」の望みについて話すときも、彼らの主張は一種の予測でしかなく、建国の父や国民の考えというよりも、彼ら自身の考えを述べているにすぎない。

私がいいたいのは、人の話を聞くときは話半分で聞こう、ということではない。他人や神や建国の父や弁護団が、自分の味方であると思えるときも、常に謙虚な気持ちを忘れないようにしよう、ということだ。(『人の心は読めるか?』)


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こういうことをある人に対して思った。その後ほどなく、自分についても言えると気づいて苦笑。