モモ④
去年の今頃、Michael Endeの『モモ』についてきわめて少し書いている。
きわめて少しなのは、雑務でごった返してきたので手が付けられなかったのと、『モモ』について書くにあたり、各パーツが揃えられていなかったということがある。
まあ、別に研究しているわけでも仕事でもないので焦ることもないのだけど、ちょっとずつ部品を集める感じではいた。
私たちは内的な時間を尺度にすべきであって、外的な時間を尺度にすべきじゃないということだけは、再び学び直さなければなりません。私は『モモ』の中でそれを試みたわけですが、時計で測れる外的な時間というのは人間を死なせる。内的な時間は人間を生きさせる。 『三つの鏡』
『モモ』と言えば、時間がテーマなのは言わずと知れたところで、往々に見られる解釈としては、あくせくしないで時間を大事にしよう的なものだ。
エンデ氏もそういう解釈については注意深く言及しているわけだけど、まあそういう解釈が出るのも致し方はないというか。
要は、すでに『モモ』という作品には別の解釈が存在するわけなのだけど、今さらワタシが何をか言わんや、という袋小路に入ったので、それはそれで置いておいた。
月日が経って、ちょっとだけ思うところが出てきた。でも言うほどではないんだよな、と思ってはいる。 今でもそうだ。
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マア、消極的なのですが、書いて行くのはけっこう時間を喰う作業で、ちょっとずつちょっとずつ集めた部品を公開させて欲しいわけです。
かしこ