務め
この俺、かつてはみずから全道徳を免除された道士とも天使とも思った俺が、今、務めを捜そうと、この粗々しい現実を抱きしめようと、土に還る。百姓だ。(ランボオ『地獄の季節』岩波書店、2012年、p60)
- 作者: ランボオ,J.N.A. Rimbaud,小林秀雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1970/09
- メディア: 文庫
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近所の図書館へ行った際、ありがたいことに古典文庫本コーナーができており、目ぼしいものを借りて帰ったので、コタツでぼさぼさ読んでいた。
Amazonレビューを見たら、このランボオ(1854-1891)の作品、評価が高く、薄い文庫ながらみな賛辞を贈っている。
短めなので一気に読んでしまったけど、ところどころ、キーワードがあったようで、これについては後から読み返してニヤリとすることに。
☆
今のところだと、ニーチェ(1844-1900)の訳文に感じが似ているような気もする。
レビューでも、ニーチェに言及している人がいらしたので、想起しやすいことなのだろう。
地獄の季節というタイトルなのだけど、地獄とは青春のことだと指摘されている方もあり。
とすると、この最後の文章「別れ」とは青春との別れということなのか。
☆
熱中したことと別れるのは、おいそれとはいかないもののようだ。
場合によっては、自分が馬鹿だったことを認めることでもあるのかも。いや、もっとつらいこともあるのかも。
青春のいかんともし難い状況から脱け出て、「現実」あるいは「土に還る」ことをどうやって選択するのか?
おそらく、このランボオの作品を読んでも、読み手個々への処方箋は書いていない。当然ながら。
うまく言えないけど、そういう作品なわけだから読んでも多くの知識がつくとかいうことではないようだ。(詩人なので当たり前か)
ただ、自分の殻を破ろうとしていたという軌跡が見られる。
そういった軌跡が残っていることが大事なのではないかしら。
その軌跡自体が何かを物語るというか。
☆
最後の部分に「忍辱(にんにく)」という言葉が出てくる。
まだまだ前夜だ。流れ入る生気とまことの温情とは、すべて受けよう。暁が来たら俺たちは、燃え上がる忍辱の鎧を着て、光かがやく街々に入ろう。(同、p61)
〈忍辱〉とは耳慣れない言葉だけど、字面のとおりに読めば、辱めを耐え忍ぶという意味になるカ。
はずかしめ…
やはり辱めを忍ぶものカ。
日々そうなのカ。
☆
それにしても花粉症やら風邪やらインフルやらが蔓延している。
耐え忍ぶ日々。
それでは〜