シェリーの、つづき
フランケンシュタイン、おれの話を聞け。おまえはおれを人殺しと非難するが、それでいて自分がつくったものを破壊しようとし、良心の呵責を感じない。まったく人間の正義とは、大したものだ。だが、おれは助けてくれと言うのではない。ただ話を聞いて欲しいのだ。そしてその後に、おまえにできるのなら、おまえが望むのなら、自分でつくったものを破滅させるがいい(シェリー『フランケンシュタイン』光文社、186頁、2010年)
怪物が、“創造主”フランケンシュタインにまくし立てているところですね。
だんだんどっちが悪いのか、どこで誰が間違ってしまったのかわからなくなってくるアノ感じ。ワタシだけでしょうか、読んでいて堪らないものがあります。
怪物や幽霊などの人外に何かを語らせるというのは、イギリス文学ではままあることなのでしょうか。
類似のものにホーンテッドマンションや幽霊屋敷、不気味なお城などありますね。そういえば思い出のマーニーも幽霊?屋敷というモチーフをうまく使ってますね。
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通常の世界とは別の世界へ行って、そこから現実で再び生き直す力を得て還って来る、というのは、日本でもよく見られるストーリーですね。冥界や地獄へ行くなどの説話のように。
むしろ共同体が積極的に誰かをそういう外の世界へ送り出す、ということをする部族もあるそうですよ。還ってきて共同体をより強力なものにするために。(メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』)
ワタシも疲れたときはそういう本など読んで力づけていますね。日常を送るコツみたいなものかもですね。もちろん万能ではないと思いますが、モノに頼っていることは間違いないですね。
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まあ、冒頭の引用で、良心の呵責とありますが怪物に良心トカ言われてもな…とふつう思うのでしょうか。
どちらが良い/悪いとは一概には言えないし、そのような解決ではスッキリしないのではないかという読後の感想を不肖ながら持った次第です。
とすればこの一連の問題を産んだ背景的なものまで遡ったり下ったりしながら知ってみたい気になるのですが、年表が付いているのでそれはチョットありがたいですね。
ううむ。
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以前、古本屋のご主人に音楽の歴史を聞いたのですが、バッハ(1685-1750)からいろいろあってまた現代においてバッハに戻って行く、という話をうかがったことがありまして。
ワタシが「結局また元に戻っちゃいましたね」とコメントしたときに、
「でも最初とは違う」
と割とはっきり言い切っておられたので、ワタシとしては返す言葉もなかったという思い出が。
あのときはご主人に紅茶を淹れてもらい、窓からごみごみした町を眺めながら本を閲覧させてもらったのでした。
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寒いですね。
ミルクティなどずびずび飲みながら生きめやも。
おやすみなさい〜