グォン

祖父が昨日の夜から容体がおかしい。


昨晩お風呂から上がれないでいるところを、父が引っ張り上げる。それから息も絶え絶えになってベッドで寝ていたが、朝になっても起きてこない。


終日寝たきりだった。ご飯も食べず、横になったままペットボトルにストローを差して飲むだけ。息切れしてる。


先ほど、母とシーツと紙パンツを引っぺがして新しいものに取り替える。祖父は割と体がでかいので、軽く腰を持ち上げたりするだけでも力が要る。重い。


紙パンツは横をハサミで切って脱がせた。体位を変えられないので、横からオムツを着衣させる。コレは割とカンタンだった。


横向きで息切れしているのを見ると、不穏なことを考えてしまう。とはいえ、祖父も98歳。



祖母も母も私には、さっきはお疲れ様、ごめんね、などと声をかけてくるが、取り繕っている感じがあるように思えたのだった。お疲れもごめんねも、祖父が言うならわかるが、周囲の人間が言うようなセリフではないのではないか。なぜ《祖母》《母親》役割を下手に取り繕って発言してくるのだろうか?


しかしこんなことを考えても、詮なきことだとは思う。要するに祖父も祖母も母も父もそれからワタシも不安という点では一致している。その対処が個々で違うというだけのこと。



先日、「いのちの初夜」を取り上げたが、作者の北条民雄氏は、調べてみると24歳で亡くなっていた(1914-1938)。そして、生きていれば今年100歳、祖父の2コ上ということになる。

彼は祖父の経験した第二次世界大戦を経験せずに。


ふと、これからどうなっていくのだろうと思った。ワタシの家族たちも、他の人々も、これからどんなにバカバカしいことを続けていくのか?

自分の周囲だけが平和に穏やかになどあるわけない。でも、出来れば嫌なことなど考えずにいたいということも知っている。そして、考えなくてはいけないときは、いやが上でも。


祖父の洗濯物とシーツを洗濯機に入れて、粉末洗剤を気持ち多めに入れ、標準コースを選び、ビニール製のボタンを押す。

グォン、と洗濯機は軽く唸って静かな夜に小さく動き出す。


「神よ願わくばわたしに変えることのできない物事を受けいれる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」


第二次世界大戦空爆ドレスデンで経験したヴォネガット。彼の著作、スローターハウス5に引用されている句。ニーバーの祈りというそうだ。以前、読書会でも50過ぎの男性がレジメに引いてきていた。気に入っていたのだろう。


宗教も無いよりはマシなもののひとつだが、おそらく宗教も万能ではない。そして熟成した宗教であれば、そのことをどこかで開示しているものだ。万能を言う宗教はいずれの形にせよ未熟なのだ。



虫の音と、洗濯機の音が家中に響く。


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川面に映るものと、遠くに見える黒い山の影。



今日も一日終わり。


季節の変わり目ですので、体調お気をつけくださいね。

おやすみなさい。


グォン