いのちの初夜

こんばんは。

気づけばもう八月もあと少し。

予定では終わってることが終わっていないことに愕然とするおなじみの月末ですが、新しい季節が来るというあの感じ、思い出すとなかなかいいものですね。

などと爽やかなことをを言ってますが、修羅場を思い出してどくどくしたり、あるいは脇の下に汗もができて動かすと痛。。



そんななか最近読んだ本。

いのちの初夜 (角川文庫)

いのちの初夜 (角川文庫)


ずいぶん前に古本市で買ったものの、ぜんぜん読んでいなかった本。

作家の群ようこ氏が書評を書いておられるのを小さい頃読んだことがあるが、「初夜」だけどそいわゆるエロ系の本ではない。


なんで今まで読んで来なかったんだろう、という感じの内容。


この本は短編集で、「いのちの初夜」以外にも「眼帯記」「癩院受胎」「癩院記録」「続癩院記録」「癩家族」「望郷歌」「吹雪の産声」が収録されている。


他作品のタイトルからして、本作も推して知るべしなのだけど、


レビューはAmazonにも、種々のブログにも書かれていらっしゃる方がおられる。

ちなみに、著作権切れで青空文庫にもあるので、書店に行かずとも、ネットで読める。便利ですね。


文芸作品について、踏み込んで書く技量が私にはない。 

ただ、小説というスタイルが、自分の扱い難い経験を語る場を書き手に提供しているのだ、というある現代史の研究者による指摘を思い出す。


幾つか引用(青空文庫から)

「つまりこの人たちも、そして僕自身をも含めて、生きているのです。このことを、あなたは不思議に思いませんか。奇怪な気がしませんか」
「…ほんとにあなたの気持、良く、解ります。でも、尾田さんきっと生きられますよ。きっと生きる道はありますよ。どこまで行っても人生にはきっと抜け道があると思うのです。もっともっと自己に対して、自らの生命に対して謙虚になりましょう」
この崩れかかった男の内部は、我々と全然異なった組織ででき上がっているのであろうか、尾田には少しずつ佐柄木の姿が大きく見え始めるのだった。

(初出「文学界」1936(昭和11)年2月号)


上の引用にはないが、病気の凄まじい描写がおそらく読み手の耳目を引くと思う。


病気に対して、凄惨だとか、壮絶とかおぞましいといった言葉もあるかもしれない。


でも思うのだけど、そういう形容にしかならなかったということもあるんじゃないかな、と思う。本当はそんな言葉で済ませたくなかった、というようなことが。


どうしてそういう言葉にしかならなかったのかも知る必要があるみたいじゃないか?


そういうこともある。


あんまり上手なレビューにならなかった。


おやすみなさい