思い出の

こんばんは。

いかがお過ごしでしょうか。



ずうっと前、高校生だったとき

つらかった時期があった。


友達もまあまあいた方だったし、両親は塾やピアノも続けさせてくれていた。


けど、なぜか心がぽっかりと空いてしまう時があった。どうしても埋めれない空間が心の中にできたみたいに。


よくぼうっとしていた様に思う。友達が、また“明後日”見てるね、と私に言ってくれていた。何を見ているか焦点があってなかったのだと思う。


ある日、学校に行かなくなった。
当時はいじめられていたということもなく、嫌いな人もいなかった。ただ、どんどん埋まらない空間が広がっていくみたいで、息苦しかった。


ずるずると休みを重ね、私はすっかり帰り途を失ってしまったようだった。どうやって元の生活に戻ればいいかわからなかった。


数週間経った時、担任から出席日数がヤバいから退学になる前に登校してください、という電話が母親にかかってきた。


進学があるので母親から登校するように頼まれる。


進学…

出席日数…

退学…

学校…

担任…


頭の中でぐるぐる回っている単語群。



違う



私はただ帰り途を失ってしまっただけなのに。

私は帰り途がほしいだけなのに。


ただ、いくら探しても帰り途は見つからなかった。それでも、高校には行った。逃げ場所がなかったからだ。


また毎日毎日受験勉強に追われる日々が戻ってきた。心の中にできる空間については、深く考えないようにした。

そんなこと考えて一体何になる?



学年が変わったとき、英語の受け持ちの先生が変わった。


若い女の先生から、40後半くらいの女の先生になった。


先生は隣のクラスの担任で、私の友達が隣のクラスにいたこともあって、先生と話す機会があった。


特に何を話したかは覚えていないのだけど、先生がしてくれた事で今でもウレシく覚えていることがある。


それで私はいくらか気持ちがラクになったものだった。


それは、すれ違う時に

「元気〜?」

と微笑みながら声をかけてくれたことだった。


ふと、誰かにこんな温かい言葉をかけてもらったのはすごく久しぶりな気がした。


嬉しかった。


微笑みと温かい言葉。


自分もこういうことができたらいいなと思ったものだった。すぐに忘れてしまうけど。



ヴォネガットが、愛は負けても親切は勝つ、という言葉を述べている。


そうであってほしいと思う。


帰り途を教えてくれるのは、誰かの親切なのだと。