魔法の学校②

以前、少し書いた魔法の学校について。書き足りていないところがあったので今夜はそれについて。


このような読み方をするのは、おそらくエンデの意図とは離れているかもしれないが、エンデのナラティブにはいろいろと考えるためのヒントが含まれているように感じる。

しかし、エンデはお説教はしたくない、という。(『物語の余白』)あるいは、教えたくないのだ、という。現代では多くの人が教えたがっているが、そんなのは真っ平だという。


なので、エンデの物語から思考のヒントが〜という風に取り出してみせるのは、彼の意図にそぐわないかもしれない。


まあそれはさておき、今日紹介したいのは次の部分だ。



ジルバー先生はつぎの練習へと授業をすすめていました。それは、ある物をべつな物に変えるという練習です。ムークとマーリの話では、練習はそのたびに「魔法の橋」とでもいうようなものを必要とするということでした。つまり、ある物とべつな物とに共通している点、つまり両方がにているところをさがしだすことらしいのです。この「魔法の橋」をつうじて、望む力で、べつな物に変えるわけです。前掲32頁


この後に、例題として「ミシンと金魚鉢」「ココナッツとハーモニカ」「スリッパとサングラス」とのあいだのつながりを探してみよう、という文章が出てくる。けどなかなかこれが難しい。


今のところ、この三つの答えが探せていない。


ある晩、マーリが顔をかがやかせてわたしにいいました。「この練習のすばらしいところってなんだかわかる?『望みの国』では、ううん、たぶん世界じゅうで、ほかの物とぜんぜんつながりがない物は一つもないってことなの。どんな物でも、すぐにはわからなくてもいろんなかくれたところでほかの物とつながってるのよ。だから、どんな物でも、ちがう物に変えることができるのねーーーやれる人には、ね。」前掲34頁


エンデに倣って、あまり説明がましいことはしないでおきたいと思う。


とはいえ、「橋」という象徴は、私たちにも馴染みが深いものだ。

「他国との架け橋」とか、異質なものに共通点を見出そうとするのは、友好とか国交を結ぶ上ではよく見かける光景だと思う。


けれど、ちょっと考えてみたい。

類似点を探すことで仲良くなれるのだったら、こんなにラクなことはないではないか?


おそらくそうなのだけど、ミシンと金魚鉢もまあ難しいとは思うけど(工場で職人が作る、くらいしか思いつかない)、国と国とか民族と民族とかある集団と別の集団と集合体の規模が大きくなればなるほど、共通点を見つけることも段違いに難しくなっていくのではないだろうかと思う。


いろんな要素を考慮しなければならなくなり、そのまとめあげる難易度も相当に高くなって行くのだろう。(この相当な難しさでほとほと嫌になったのが、ある百人規模の委員会の会計を任されたときだった。最後の方ではもう投げ出したくなっていたのは言うまでもない。)


けれども、やはりその複雑極まりない手つかずの状況が、様々な問題を露呈しているのであれば、状況が複雑であってもいつかは誰かがやらなければならないのかもしれない。



ということをフト考えた。


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遺跡に刻み込まれた複雑な模様。
人為的に複雑な模様を描けるということは、しかもそれが建築物の装飾としてまとまりがあって芸術的と思わせるに至っているということは、それ自体がデザインとして巧みである、ということの証左なのだろう。



今夜は真面目に書いてしまった。



おやすみなさい、ごきげんよう。