魔法の学校①

エンデの作品を改めて読んでいた。

というのも、あの全集のなかの作品をすべて読んでいるというわけではなく、中には、こんなのも書いてたの、というものもある。


今夜は、『魔法の学校』について。

エンデの作品には魔法の〜というタイトルのものが他にもある。『魔法のカクテル』『魔法のスープ』 

エンデの言う「魔法」という概念もなかなか興味深いところがある。この『魔法の学校』という物語は、「ふつうの国」から来た主人公が、「希望の国」と呼ばれるところに行き、レポートするといった筋の展開。「希望の国」には魔法使いの学校があり、主人公がこの学校に通う生徒と仲良くなる。学校の先生から魔法の授業を受ける様子を具に報告してくれている。

ところで魔法の学校というと、思い浮かべるのは、ハリー・ポッターの方だろうか。残念ながら、私自身はハリー・ポッターを一度も読んだことがない。 十年くらい前に友人たちが、読んでいるのをみたことがあるが、随分と分厚い本で、関心した覚えがある。しかもシリーズとなっていく冊も出版されているのだそう。


翻って、エンデの『魔法の学校』は短編作品だ。


作中の魔法学校の先生が、最初に生徒たちに次のことを教える。


「君たちにいよいよ最初の、そして一番大事な『望む力』の規則を教えよう。」
先生は立ち上がって、黒板にこう書きました。1 本当に望むことができるのは、できると思うことだけ。 2 できると思うことは、自分のお話にあうことだけ。 3 自分のお話にあっているのは、本当に望んでいることだけ。 (エンデ全集14、22・23頁)
こういったエンデの考えは、他所でもしばしば見受けられる。

僕には、「汝の欲することをなせ」がヨーロッパの歴史全体を通じて響いているような気がする。あの、もう一つの言葉「グノティ・セアウトン」の、いわばその片方として、そもそもこの二つの言葉は対だったのかも知れない。「汝自身を知れ―そして、汝の欲することをなせ」 『エンデのメモ箱』 


つまり、自分が何をしたいか・欲しているかを焦って追い求めるのではなく、まず自分自身を知ることだとエンデは言う。それは、自分自身が何を望んでいるかを知った上で、初めて「希望する」「欲する」ことが可能なのだ、ということだろうか。


このあたりなんかは、道元の「自己をならうというは」にも通じるところがある、と気づく人も定めしおられることだろう。(エンデは、仏教、とくに禅に興味を持っていたらしい)しかし、どうやら「希望する」ことはなかなかに難しく、実存的な感じもする。


生徒たちが魔法を使っている様子を読むと、やっぱり魔法を使うのは厳しそうという印象を受ける。


でもどうやら、読んでいると、エンデが伝えたがっているのは、魔法そのもじゃなく、もっと別のものなんじゃないかという気がしてくる。



まあ、長くなったので今日はここで。


お疲れ様、おやすみなさい。

みなさんに良い日が訪れますように。

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