おれはやっとのことで


十階の床をふんで汗を拭った。
宮沢賢治/図書館幻想



夢の中に出てくる建物はがらんどうとしている感じがある。


地震の夢で起きて、母から昨日あんたうなされてたわよと告げられる。

うなされる・うなるとは言葉にならない音声をただ出しているだけのアレだ。

うなるといえば、亡くなった祖母は何かを言わんとして出てこない言葉を待つように、あるいは相手が自分の要求を理解してくれるという奇跡を期待しつつ、低くうなってじっと私を見つめていたときがあった。

出てこないあの時間とはいったい何だったのだろうと思う。でも言葉にならない限り祖母が何を要求しているのかはゼロだ。私たち家族は介護時に発生するそのもどかしさにいつも付き合わなくてはならなかった。

何かを要求しているのであればまだわかる。ただし、まったく困ったのは私の前で脈絡もなく言葉を待っているときだった。私は正直に言うとその時間が怖かった。それは最後の方は祖母が「祖母」でなくなっていくようなその過程を急激に味わっていたこととも少し関係しているように思う。私は仲の良い人たちをいったいどうやって認識しているのかわからなくなった。そしてこのことを考えるとき胃がうずく。


そもそも祖母が嫌いだったというわけではないのだ。私以外の親族の面々もそうだと私は信じている。

ただ、祖母は変わっていったし、他の人々ももちろん変わっていく。

一緒にまあまあ仲良く住んでいてもコミュニケーションの減少によって関係はゆるやかに変質していく。それがいやだったというわけではない。何を書きたいかはっきりせずに私も焦っているが、一連のことが不思議だと思ったのだ。…うまく書けない。


月明かりのおかげで山の尾根に雲がたなびいているところを目撃する。虫の音。

祖父の四十九日に

風邪をひいた模様で、くしゃみと頭痛。忙しいと風邪をひいてしまうタイプの人間だ、私は。

祖父が危篤になって葬儀が済んでからもブログを書く気にはならなかった。別に誰に強制されているわけでもなく、自分勝手にしたためているのだからそんな自意識過剰になることもないと言えばない。祖母が亡くなったときはそうでもなかったが、続いて祖父が亡くなってしまったことで、日常的に空白の時間が生じたのは確かだ。介護から若干解放されてラクになっただろう?と言われると確かにその通りだ。でも介護が曲がりなりにも生活の一部として生活になくてはならなかったものであった場合、それを失ってからどうやって次の生活を形成するかということには時間がかかったし、今も完全ではない。四十九日といってもまだ2ヶ月弱しか立っていない。でもまあ、次の生活を形成云々書いたが、形成されずとも日々過ぎていく。要は慣れだろうと思うに至っている。

最近30になった。それでフィッツジェラルド華麗なるギャツビーを読み始めた。小説中の語り手が30になるまでの話だったからというのと、祖父の死後家の中を片付けした際にこの一度も読んでいない小説を発見したからだ。

昔塾で一部だけ読んだことがあった。とはいえ英語だったのでちんぷんかんぷんで、答えの訳文を見てもやはりちんぷんかんぷんだった。いまではそこが重要な場面だったということだけがなんとなくわかる。実に15年以上経ってからわかることもあるという話だ。

いびきと共に

起きている。

祖父が最期に近いらしく家族で夜な夜な交代しながら祖父の容体を見ている。いびきが聞こえるのでまだ安心といったところ。

起きてパソコン作業などしているが、お腹空いてきたのでさっき軽く夜食。カップラーメンのみそ味に白菜キムチを投入したものをモリモリ食べる。なんというか美味しすぎてバカになる味。

小一時間経ったのでまた部屋を覗かなくてはいけない。

かかりつけ医が昨日きてもう後数日だと言われたそうで。具体的な日数を言われるとやっぱり驚く。家族も緊張して疲弊気味。それでなくても介護に疲れてるというのはある。

4日くらい前に祖父は珍しくべらべら喋っていて、周りはアレ?元気になったんかいな?と思っていた矢先の食事拒否と昏睡。まあ喋っていたと言っても内容は辻褄など合ってないこんがらがったものだった。後々看取りの本など見ると、死ぬ1、2週間前はそういう事があるそうだ。たわごと病。


かく言う私も疲れているが、頃合みて仮眠などを。寝て起きると疲労感が出ていて、疲れていた事を知る。


そして吉原はない、

赤線もない。無いかのようにすべて見える。変遷に変遷してゆくテンポだけが意識にある。だがこうして庭の紅梅を頬杖ついて見ていると、紅梅の深さは何かへ抵抗しているみたいにあくまで真紅であった。明治の色とも変っていず、その幹を切っても幹のしんまで紅いのだからふしぎでならない。

(昭和三十五年)「吉川英治全集・47 草思堂随筆」講談社、1970(昭和45)年6月20日


紅梅のあかと赤線のあかをかけているぽい。冒頭にもあるけれど、紅梅といってもいろんな赤色があるそうで。淡いのからどす黒いのまで。


冬型の気圧配置のおかげでキツい。キツいというかキチー。絶賛頭痛と吐き気と倦怠感。まあ頑張って起きれてはいる。体調不良がアレなくらいで、特にメンタルまではやられていない感じは大事かなと思っている。


私には

此の冬枯の庭にある木のなかで、此の紅梅だけが明けて十一になつた末の娘のやうな氣がする。
……正月二日のはげしいから風で紅梅が大分吹き散らされた。さうして末の娘はその夕方から熱を出して寢てゐる、私は今朝も娘の寢臺の傍で人から來た賀状を讀みながら、猶をりをり窓越しに紅梅を眺めてゐる。

与謝野晶子「紅梅」『定本 與謝野晶子全集 第二十卷 評論感想集七』講談社、初出1929)

中間部分には病弱な娘さんの将来を不安に思う与謝野晶子氏の言葉が。でも文学がこの先の娘の慰めになるだろうとも。

まあそれよりも、与謝野晶子氏が娘を弱く脆い存在と紅梅を通して表現してる点が気になった。やっぱり今と感覚違うのかも。

確かに梅の花はほろほろと零れ落ちそうな感じがあるのかも。儚いとやらか。


「鶯さん鶯さん」

と猫なでごえで呼びかけました。
「オヤ斑(ぶち)さん、今日はいいお天気ですね」
「ニャーニャー、ホントにいいお天気ですね。それにこの梅の花のにおいのいいこと。ほんとにたべたくなるようですね」
(夢野久作「梅のにおい」「夢野久作全集7」三一書房、初出:「九州日報」1924(大正13))


ブチ猫は鶯を食べたいがために鶯を口説くシーン。

綺麗なものにはこういうブチ猫みたいなものもついとりますよ、といことなんじゃろうか。結果、鶯はうまく逃げてブチ猫は地面にぼたりと落ちておしまい。

ブチ猫をイヤな奴と読むことはできる。だいたいブチ猫は最初梅のにおいを「つまらないにおい」と言っておきながら、鶯にはいい匂いですね〜と嘘をついて近付いている。さもしい。ただ、自分をブチ猫に重ねて読む方が面白いかもしれんですねコレは。

今日は「海容」という言葉を初めて知った。おおむね「寛容」と同じ意味ぽいが、海というイメージが映像的。

ちなみに海は夏っぽいが、冬の海もなかなか好きだ。

正月立ち

春の来たらばかくしこそ
梅を招(を)きつつ
楽しき終へめ

(大弐紀卿、巻第五815)

お正月が来て春がきたら、梅を愛でて楽しみを尽くしましょう、みたいなところ。

梅を愛でる、とはここでは詩歌を詠むことなんだけど、なんで詩歌を詠むのかは思案中。

眠い。花粉症なのだと思う。梅どこじゃない。

周りが花粉症多いのでこの感じが世界標準だと思っていたが、実際花粉症って何?という人もいたりしてそれなりに世界観が崩れている。

みんなの花粉症軽くならまし。